2024年12月15日日曜日

Q3B:ふつうにサボってました(58~76%)+努力について

 

76-57-58-68-76-58。

というわけで数日ぶりでございます。
また気持ちを入れ替えたので、これから頑張ります。

Q3Bについては相変わらず午前中に色々やったあとにまとめてやったのもあってか、集中ができたりできなかったりしている。

前日のアルコール効果などもあり、若干睡眠も足りていないのか、途中で眠気が襲ってきたりとかで、その回などには露骨にスコアが下がっているのが見て取れる……気がする。

最後の回はある程度集中できていた気がしないでもなかったのだが、なんだか出題運も悪いのも相まって、なんだか酷いスコアとなった。

いずれにせよ普通にスコアが悪かろうがよかろうが実力の内ではあるため、とにかくアベレージを引き上げていくのが大事である。一応、76%までは取れていることから、極端に落ちているということはなさそうだ。

ともかく感覚的には、

・1日15分ではあんまり能力向上の時間としては足りてない感
・ゲームとかでサボってるとスコアが落ちる
・いかに「頭を使うか」によって割と能力向上のスピードが上がる

といった気がしている。

・・・

一部の人に大人気のアンドリュー・ヒューバーマン氏の動画を解説した動画?を見て、Q3BとかFXに対する意識を変える必要がある、と思い始めた。

これまではいずれも「目的のための手段」であり、「基本的にはあんまり楽しくないのでやりたくないこと」のカテゴリーに入っていたのだが、それでは明らかに継続するのは難しくなるな、と。

結果のための手段としてこれらを使うのは別にいいとしても、その手段そのものが楽しめなければ、結局は人生の大切な時間の大抵が「楽しくないもの」というカテゴリーに入ってしまう。

つまり、練習そのものから満足感だとか快楽を得られるようにトレーニングをする必要がある。

これまでは、

練習→遊び→練習→遊び

みたいな流れで、練習は辛いけど、その先に「遊び」があるからその報酬目当てで頑張ろう!みたいな感じでやってたが、このスタイルにすることによって、練習そのものから得られる楽しみとか報酬を無視してしまうことに繋がることがわかった。

練習から得られるドーパミンは、基本的に遊び(ゲームなど)から得られるドーパミンよりも少ない。

なので、ゲームでドーパミンを得たあとに練習すると、より練習が楽しく感じられなくなる。練習は勉強とかと置き換えてみてもいいかもしれない。


これにより、「ゲームは楽しいけど、練習は全然楽しくない」という学習が行われ、練習に対するモチベーションは勝手に低下していくと同時に、遊びに対するモチベーションだけは自然と上がっていくことになる。


この流れを断ち切るためには、練習から得られる結果(FXだとお金とか、そのお金を使ってどうなるのか、といったイメージから得られる報酬)ではなく、練習そのものから得られる楽しみや報酬にフォーカスするのが非常に重要である。


なので、例えば「ながら勉強」だとか「ながら練習」などは徹底的に避ける必要がある。


テレビを見ながら練習をするとか、音楽を聞きながら練習をするということは、練習の苦痛を和らげるために、テレビを見たりとか、音楽を聞いたりすることから報酬を得ようということになってしまうため、「練習そのものの楽しみ」にフォーカスすることを邪魔してしまう。
あくまでも練習そのものに集中をし、それそのものに楽しみを見出すことを継続しなければならない。


なんかヒューバーマン氏によれば、「最初は苦痛に感じていても強制してたらその活動からドーパミンが得られることが実感できるようになってきた」ということなので、これもやはりトレーニングとして意識して行っていくことが大事なんだろうと思う。


そういう意味では、何か勉強のあとにゲームをするにしても、「勉強の報酬として今ゲームをやっている」という意識は捨て、あくまでも「ゲームはゲームとして、それだけを楽しむ」という意識を持つ必要がありそうだ。


「練習が苦痛だったので、遊びが楽しい」と思ってしまえば、やはり練習の報酬として遊びをやっているということになってしまい、「勉強=苦痛回路」が強化されることになる気がする。


正直、たんなる意識の持ち方でそこまで変化が起こるのかどうかはわからないが、得られるかどうかわからない結果を目的に苦しい努力を続けるよりかは、努力そのものが楽しくなったほうが当然、人生は楽しくなるとは思う。

仕事から得られるお金を目的に働くと、仕事が苦痛に感じられるようになるわけだが、せっかく人生の大半を過ごす仕事をただ「苦痛」だけで終わらせるのは、ものすごくもったいない。

どうせなら仕事そのものから楽しみを得られたほうがいいに決まっているので、やはりその仕事に向かうという努力そのものに価値を置いたうえで、それに取り組むことそのものを報酬化してしまったほうが良さそうだ。

・・・

まとまりがないので、まとめておく。

・練習のあとの「ご褒美としての遊び」の意識を排除する
・ながら練習はしない(練習しながら音楽聞いたりとか別なことをやらない)
・練習の結果得られる報酬(お金など)ではなく、練習そのものから得られる楽しみにフォーカスする

最初は練習に苦痛を感じても、「自分の意志で選んで、好きでやっている。続ければ確実にスキルを積み上げられる」とか言い聞かせながらやっていれば、そのうち努力そのものからドーパミンが得られるようになるらしいので、そのレベルまで持っていきたい。

ということで参考動画。



個人的には「練習の報酬として遊ぶ」というのが諸悪の根源のような気がしているので、とにかくそれを意識して排除していきたい。

遊びは遊びで、練習とは全く別物。練習そのものも好きでやってるなら、遊びになりうる、みたいな。意識でどこまで変わるのか。

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