ヒューバーマン氏の動画から学んだこと。
とても役に立つ内容だったので、内容を覚えておくために整理しておく。
参考:
<ドーパミンについて>
ドーパミンについての基本的な考え方。
ベースライン:基準となるドーパミンの値?
ピーク:ドーパミンの上昇量のピーク値?
ともかく、人それぞれベースラインが違うのと、「何をやるか」によってピークも変わる。で、ピークへのアプローチの仕方によって、ベースラインも変わってくる。
ベースラインの高低が、おそらくその人の「基本的な幸福度」に影響してくる。常に鬱っぽい人は、ベースラインがとても低い。常にエネルギッシュで幸福感を感じている人は、ベースラインが高い。
だから、日常的にモチベーションを高く保ち、幸福度を維持したいと願うのならば、この「ベースライン」をいかに引き上げるかが重要になってくる。
ドーパミンはピークまで上昇すると、「ベースラインよりも下のレベルまで」下落する。その下落幅は、ピークの高さに比例する。
つまり、何らかの外敵手段によって気分が良くなったら、その後、それに比例するレベルで気分が落ち込む(可能性がある)。
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・ドーパミンは「期待のホルモン」である。分泌されると気分がとても良くなる。
・ゲームとかしたり美味しいもの食べたり運動したり、ポルノ見たりセックスしたり、麻薬をやったりするとドーパミンが出る。
・行動によって、上昇するドーパミンのピークの高さは異なる。
・チョコレートを食べる(2倍)よりも、セックスをする(2.5倍)ほうが、上昇量は大きい。タバコを吸うのは、セックスをするのと同じぐらい。薬物はもっと強烈。10倍とかになってくるものもある。
しかし、薬物などはドーパミンが急上昇するが、急下落する。つまり全く長続きしない。なので、急激に気分が良くなるが、その後急激に気分が悪くなる。
・冷水シャワーはドーパミンのレベルをセックスレベルで引き上げる。しかも効果が3時間ぐらい持続する(らしい)上に、下落幅も少ない。冷水を浴びるというストレス以外にはいいことしかない。
・ドーパミンが分泌される活動はどれも、そのうち慣れる(飽きる)。つまりドーパミンの分泌量は最初がピークで、活動を続けるにつれて徐々に下がってくる。これが極端なレベルまで行くと、何をしてもドーパミンが分泌されなくなる、という状態になる(これにより生きる気力がなくなり、自殺する人もいる)。
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<ドーパミンのベースラインを上げるために>
・極端な刺激を生活から排除する。ギャンブルや過度なポルノ、依存性の高いゲームや食品など。
・ベースラインが下がる要因は、ピークを付けた後にドーパミンがベースラインを割り込んで急下落することにある(?)ようなので、それを避けることが重要となる。
・基本的に過度にドーパミンが分泌されさえしなければ、徐々にベースラインは本来のレベルに戻って来る(はず)。
・自分にとって必要な努力(勉強やトレーニングなど)は、意識的にポジティブな思考を持つことによって、「努力そのもの」からドーパミンが放出されるようになる。それによっても、ベースラインの上昇が促される。→どういう理屈?
・「ある努力そのもの」からドーパミンが放出されるようになると、「その他の努力全般」からも同様にドーパミンが放出されるようになる。つまり、努力そのものを楽しく感じられるようになる。
<努力の注意点>
・努力する前にドーパミンを急上昇させない(ゲームとかドラマとかネットサーフィンとかSNSとか、なんかそういう活動をしない)
・努力した後にドーパミンを急上昇させない(同上)
・あくまでも努力そのものによってドーパミンが上昇するよう学習する
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覚えている範囲では終わり。
今になって思えば、小学生の頃はだいたい何やっても楽しかったし、無敵感があったのが、成長するにつれて消えていくというのは、好奇心が薄れるのと同時に、何か別の「刺激的すぎること」が要因となってベースラインが引き下げられている、というのもあるかもしれないと思った。
また、漫画とかゲームとかやったら勉強のやる気が起きなくなるというのも当然あるし、「相対的に」勉強とかスキルアップに魅力を感じなくなる、というのも、ドーパミンの性質を考えれば納得ができる。
個人的に一番刺さったのは、「ご褒美としての遊び・食事」などが、それそのものによって努力に対する魅力をなくしている、という点だった。
勉強した!頑張った!→よしゲームしよう!!
みたいにやると、ゲームが勉強の報酬になる。
つまり、報酬があるから勉強をする、という流れができてしまう。
そうなると報酬がなければ勉強を頑張れない、ということになり、勉強そのものから得られる報酬には全く目が向かなくなる。
本来勉強は新しい知識を身につける活動なので、知的好奇心を満たせる楽しい活動になるはずなのに、報酬によってその「勉強そのものから得られる報酬」から目をそらされてしまっているということになる。
そのように考えれば、テストが終わった後の打ち上げだとか、仕事の後の飲み会なんてのも同様に、それぞれの本来の活動からの喜びを奪ってしまっているということになる。
結局、十分な量の努力が継続できれば、一般的な成功なんてのはおそらく達成できるのであって……じゃあ努力をどうやって続ければいいのかって言ったら、「努力自体が楽しくなればいい」という結論になる。
そのためにも、動画の内容が非常に役立てられる気がする。
極端な快楽を求めれば、その後には必ず苦痛が待っている。
考えてみればオナニー後の賢者モードみたいなもんで、射精するまではめちゃくちゃテンション上がってるのに、射精した瞬間に気分が落ち込んで死にたくなる、みたいに考えれば、男ならわかりやすいかもしれない。
ゲームやらなんやらを無限にやり続けてしまうのも、やめた瞬間の寂しさとか虚しさに耐えられず、それを意識的にしろ無意識的にしろ避けてしまうからなのかもしれない。
でもやり続ければ必ずそのうち「何をやっても満足できない」という状態に陥るので、そうなった後が問題になってくる。
たまの楽しみとしてやるのは別にいいとしても、過度な快楽は必ずベースラインの低下を引き起こし、気分の落ち込みだとか快楽に比例した苦痛を引き起こすことになる。
SNS(YouTube、Twitter、TikTok、Instagramなど)なんかも同様の現象を引き起こすので、このような観点からすれば、オーストラリアのSNS禁止法案の有用性というのも個人的にはよくわかる。
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なんか無限に書けそうな気がしてきたので、このへんで終わろうと思う。
極端な快楽を可能な限り避け、日常の些細なことから喜びを感じられるようになろう!!
ということだろうか。とりあえず忍耐と継続を要するような行動から、ドーパミンが得られるようになりたいものである。
(僕の場合は多分、10年以上タイピングのトレーニングを継続してきたこともあって、タイピングという行為そのものがドーパミンと結びついているため、こういう感じになるんだと思う)